ふだん目玉焼きを食べないので実感はないが、醤油かソースかという論争があるというのをよく耳にする。
どっちがいいかという話をしたいわけではなく、単なる例だが、喫茶店かどこかでモーニングに目玉焼きが付いていたとする。
店員さんに「醤油とかソースとか使われますか?」と尋ねられて「ソース」と答えたら、「すいません、ソースはないんですよ」と言われる。当然「ほんならソースは言うなや」と思うだろう。
「醤油は使いますか?」と尋ねられて「はい、お願いします」と答えたら、「すいません、いま切らしてるんです」と言われる。「なんで聞いたん?」と思うだろう。
こんな店員はいないだろうが、日常会話では結構この手のナゾのやりとりがたくさんある気がする。特に相手に気を遣ったり遠慮したりする場面では、相手の気持ちを尊重するあまり、実現できない選択肢を提示してしまい、相手がその選択肢を選びとってから慌てて「ありません、できません」という。結果的に尊重しているはずの相手を無駄に不快にさせてしまう。ないものやできないことは選択肢に挙げてはダメ、と言うのは容易いが現実の場面では、醤油かソースか塩かコシヨウかケチャップかと、よりどりみどりをアピールしたくなるものなんだろう。