u1row's blog

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『武器としての「資本論」/白井聡』読了

自分が学生だった25年ほど前の時点で、「「資本論」は一周回って、あえて「いま」」的に言われていた。
2020年を過ぎたいま、改めて取り上げるとなると「さらにもう一周回って」という感覚じゃないか。
もっと言うと、マルクスの生年は1818年。
200年以上前に生まれた人物の著書だと考えると、2周目、3周目のレベルではなく、n周、n+1周という感じかもしれない。
そんないわゆる「古典的名著」を、あえて「武器として」、つまり現在の世の中と向き合うツールとして読もうというのが著者の意図。
後半に明確なメッセージとして書かれていたが、「新自由主義的価値観にのみ込まれないために資本論が武器となる」ということらしい。
なるほどと思ったのは「資本制社会の問題は「誰かが悪い奴だから」というような、人格的な面にあるわけではない」という部分。
打倒すべき人、階級が判然としない仕組みの中で、「わかりやすさ」を求める庶民の性でついつい犯人探しや、裏で糸を引くフィクサー的な人物探しに明け暮れる。
犯人もフィクサーもいない、あるいはいたとしても、それは打倒するには小さすぎるというのが事実なんじゃないか。
その意味で、「資本家に人格などない。資本が人格化されているだけだなのだ」という認識が出発点として共有されることはとても大切な一歩なんじゃないかと思った。
誰それがけしからん、といったことではなく、今の世の中の仕組み自体にどういう問題点があるのか、、、
と書いてみて思ったが、資本論ってそういう本、マルクスはそれが書きたかったのだろう。
150年以上たった今でも「武器として」と言われるほど、その分析が本質をついていたのか、あるいはそれほど社会のあり方が変わっていないのか。