u1row's blog

作曲、演奏、読書、アプリ制作・・・、生きた証を日々更新

重みを増すもの

8/6、広島への原爆投下から75年。

毎年あの日から○年とニュースになるが、自分の記憶で一番古いのは「今年で36年目を迎えました」というテレビのニュースの声だ。

36年目というと1981年だから小学校2年生の時か。

当時はまだ鮮明な記憶と現実的な苦しみを背負っている人が今よりももっとたくさんいただろう。

でも、7歳の自分には遠い過去の話だったし「風化」という言葉も同時に耳にしたように思う。

 

それからさらに39年。「今年で75年目を迎えました」という言葉は、今の小学生にはどんな風に響くだろう。

36年目と75年目に感覚的な違いはないと言って構わないだろうか?

36年目に言う風化と、75年目の風化は同じ意味で使われる言葉だろうか?

 

基本的には年数がたてば同じ言葉の意味することは薄くなり褪せるだろうから、いまの小学生には、小2だった自分よりももっと薄れ褪せた響きとして耳に捉えていることだろう。

ただ、あらゆるものが薄れて褪せるなかで、唯一重みを増す可能性があるものがあるとすれば祈りかもしれない。

祈りの気持ちや習慣は個人史の中でも社会的な習慣としても蓄積されうるものじゃないか。

唯一、36年目よりも今年の方が強く濃くなっている可能性があるのは祈りの気持ちや習慣だとは言えないだろうか。

でも実際に強く濃くなっているかどうか、それは個人、そして社会のありように左右されるものでもあるだろう。