u1row's blog

作曲、演奏、読書、アプリ制作・・・、生きた証を日々更新

主体的な語り手への転換

昨日の続き。
「教養」というのを皮肉的に捉えると、「エジソンはえらい人」という認識、プラスαの豆知識(エジソンが実用化に成功した白熱電球のフィラメントは日本の竹だったみたいな)に過ぎない。でも、他者や他者のワザは、いつも初めはこういう寓話として受け入れられるもんなんじゃないか。
「マネの絵は寓話的であることをやめた点で革新的である」というのは教養レベルの話であって、マネには何がどう見えたのか、なぜそのようにタブローを描いたのかを想像したり考察したりするところから、専門領域あるいは創作領域に入っていくのだろう。それもまた寓話の一部かもしれないが、読み聞かされる側ではなく、主体的な語り手への転換がそこにあるんだろうなと思う。