u1row's blog

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李徴のような

高校の国語教科書の定番教材といわれる中島敦の「山月記」。
高2の娘が教科書で読んで妻に言ったそうだ。
山月記の人(李徴)って、お父さんみたいだね」
妻からの伝聞なのでその含みはわからない。
かわいそうにという憐憫、父親としてどうなのという不安・不満、人としてやっていけるのという心配、、、
いずれにしても「言っちゃぁ悪いけどさ、、、」というネガティブな意味合いなんだろう。
でも、この話を聞いてなんか嬉しくなった。

自分自身も高校生の時に学校でこれを読んで、自分のことのようだと思った。
ただ、今は少し違った捉え方をしている。
昨今「男らしさ」「女らしさ」というワードはNGだけれど、あえてこれを使うと、山月記は「男の子らしさ」が凝縮され描かれた作品だ。
「男らしさ」というものがあるならば、それはタフネスとかマッチョイズムのことではなく、表側に現れるそういったタフネスやらマッチョイズムの背後にあるものを指すのだろうと思う。
そして「男の「子」らしさ」は、男らしさをより純化したもの(タフネスやマッチョイズムで防御する前のむき出しの本質)で、形容する言葉としてはnaive(世間知らずで純朴な)とかvulnerable(傷つきやすい、脆い)が当てはまるだろう。

ウチの家族は自分以外、猫のナラも含めて全員女性。
娘が「お父さんみたい」と言ったのは、ひょっとすると家族で唯一の男性に「男らしさ」を感じとっていることの証なのかもしれない。
娘にとってその男らしさは、怖い、煙たいと忌避するものかもしれない。あるいは40を過ぎてもnaive(世間知らず)でvulnerable(傷つきやすい)なところに不安を感じているのかもしれない。

こんな風に「男」「女」という言葉で考察することには問題があるかもしれないが、ともかく自分という人間の主要な要素が、自分にとって大切な人にどういう感想であるにせよ伝わっているということに嬉しさを感じているのかなぁと思った。