u1row's blog

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『レトリックと詭弁/香西秀信』読了

弁舌をふるうだとか、論理でもって他人を説き伏せるだとかいったことは自分からはもっともかけ離れたことで、いまさらそんな術を身につけたいとは思わない。
でも、人の話を聞いていて頭が混乱したり、ひとり思いを巡らすときに自分で何を考えているのかがわからなくなったりすることがよくあり、きっとそれは「ことばの意味」ではなくて「ことばの作用」がわかっていないからじゃないかと思っている。そのため「レトリック」だとか「詭弁」だとか言葉の駆使にかかわる話にはとても惹かれる。
ということで、この本を読んでみた。
いちいちなるほどと感心するものの、自分が駆使できるようになる感じはまったくせず、むしろ不向きであることを再確認しながら読み進めた。ダメ押しは、第三章末のディレンマに関する問いで「簡単だから特に答えは示さない」と書かれていたが、その答えがわからなかった。
一応覚えておこうと思ったのは、"tu quoque"「おまえの方こそ同じじゃないか」、"occupatio"、あえて言わないでおくことでかえってそのことを強調する術。
また、最終章の「例証」に説得力を持たせる方法についての話は、以前からディスカッションの場での具体例の逆効果について思うところがあったのでとても興味深かった。
ディスカッションの場では、具体例を挙げるとイメージを共有できたり論点を明確にできたりと、その効果を信じる人は多いようだが、どうも具体例を挙げることでかえって話が止まってしまったり、論点がすり替わったりする場面によく出くわすような気がしていた。「そんな気がする」という感覚でしかなかったが、レトリックの観点ではこういうことなのかなというヒントが得られた。