u1row's blog

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さわり

声にしても楽器の音色にしても、その魅力の核心には「障り」があるんじゃないかと思う。楽譜に示された音符はすべての「障り」をなくしたもので、これはこれである音楽を構成する骨組みではあるが核心ではない。骨組みという主要素にではなく、「障り」いわばノイズに核心があるというところに音楽のおもしろさがあるんじゃないか。

音楽をあらゆる人の営みのアナロジーだと考えると、様々なものごとの魅力の核心は「骨組み」にではなく「障り」にある、というような考えも可能になる。「あたり障りのない」「差し障りのない」という表現が示すとおり、「障り」のない無難な選択からは魅力は発せられない。
ただ難しいのは「障り」の加減だ。

と、ここまで書いて、ふと「障り」という言葉のこのような使い方は一般的なのかなと思って調べてみて驚いた。
三味線などが出すビビリ音、つまり一種のノイズのことを「さわり」といって、シタールなどのインドの弦楽器で用いられるブリッジの部分Javariに由来するのだとか。一方、武満徹はこの「さわり」を「触れる」と「差し障る」の両方を意味する可能性があると言っているそうだ。

自分が勝手に思っていた音楽の魅力としての「障り」は、必ずしも一般的な言葉とは言えないようだが、弦楽器奏者の言葉、ついでに武満徹の言葉にも通じるところがあるらしいことがわかった。
よくわからんが光栄だ、、、ということにしておこう。