u1row's blog

作曲、演奏、読書、アプリ制作・・・、生きた証を日々更新

3人寄れば

「3人寄れば文殊の知恵」というのはたしかにあるかもれしれないが、これは「3人」であるところに意味があって、「多数」と読み替えるのはマズイんじゃないかと思う。

斬新な発想は他人を介すほどに陳腐になる。多数の人間でモノを考えるのは突飛なアイデアを排除するためか、追随者を侍らせた独裁者のごっこ遊びとしてか、いずれにしても生み出すモードにはならないだろう。「天才とは小集団現象である」というのは、たしか中井久夫さんの文章に出てきただが、「3人寄れば」の「3人」はそれに通じるように思う。