u1row's blog

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記述式のねらい

大学入試制度改革で、英語の民間試験導入は先送りされたそうだが、国語や数学もかなり酷いと聞く。
「記述式の問題で思考力の程度を判定する」という発想にはいくつもの疑問がある。
例えば、思考力にもいろいろあるだろう。国語で見るべき思考力とはどういう類のものだろうか。
サンプル問題には資料を読ませて回答させるような問題が含まれていたが、例えばチラシなんかを見て何が書かれているを理解する能力は、国語教育を通じて習得すべき能力なんだろうか。

それに、そもそも何で共通テストで「思考力」などというあいまいな力を問わないといけないのかがわからない。
大学が個別・独自に試験すればいい。チラシの要点を読み取る力を重視したい大学はそういう問題を出せばいい、というかもうそうなってるだろうに。
少子化に歯止めがきかず、人口そのものも縮小しようかという今日、「マスを効率よくさばく」という発想で制度や仕組み、それも教育という社会の土台になる仕組みを変えようという考えは、それこそある種の思考力の欠如の結果なんじゃないか。

あるいは別のワケがあるのか。民間の業者に利益を誘導してまで共通テストを存続させなければならないワケが。
これ自体が教育産業の活性化という公共事業ということか。
でも、利益誘導つまり何かしらの経済効果を目的に教育改革をするのなら、10代の若者を対象にするのではなくて、成年、老年を対象にした共通テストの導入を検討した方がいいんじゃないか。
高齢ドライバーの事故が多発する昨今、チラシの読み取り試験なんかは、むしろ思考力低下を判定する試験として成年対象に実施した方が世の中のためになりそうだ。
青少年を食いものにしてはいけないだろう。自分たちの未来を食い潰すことになるのだから。