帰りの電車に揺られながら思ったこと。
Time is money.を地で行くと、すべての時間は金に換算できることになる。
そういう状況では「時間が解決してくれる」ことには「金で解決する」というオプションが成立する。
が、「時間が解決する」というのは「時間の経過でしか解決しえないことがある」ということだから、やっぱり「すべての時間を金に換算できるわけではない」のだ。
時間を金銭で換算するのは一種の可視化=みえる化だろう。「みえる化」という言葉は世の中的にはやたらともてはやされるが、Time is money.を字義通りに解釈する滑稽さを抱えているんじゃないか。
Time is money journey.「時は金の旅」、いやいや「時は金じゃねぇ」。
なんて、、、