u1row's blog

作曲、演奏、読書、アプリ制作・・・、生きた証を日々更新

〜差別と〜ハラスメント

かつては「~差別」と言ったものの多くが「~ハラスメント」という言葉に置き換わっている。

「差別」という言葉には「構造的で無意識に組み込まれたもの」というニュアンスがあるが、「ハラスメント」の方は「より個人の主観に根ざしたもの」という感じがする。

社会(構造)の問題と言ってしまうとある意味で他人ごと化されてしまいがちだが、それが今日ようやく個人の問題に落とし込まれ、一人ひとりが向き合うべきことと認識されるようになってきたと言っていいだろうか。

あるいは逆に、個人のレベルで向き合っても解決しないであろう根深い問題に対して、ケーススタディという個別的な手法を用いて感覚的な快・不快のレベルで合意形成をはかろうという無茶な試みと言うべきなのか。

たぶん「快・不快」だけを根拠に合意形成をはかろうとする姿勢の行きつく先は、隣国と話し合いの機会を持たず国内にたまったうっ憤晴らしに精を出して支持を得ようとするポピュリズムの横行する国の姿とかなり一致するんじゃないか。

自分ごと化して考えることは大切だが、個人のレベルを超えた構造的な問題とは切り離さないといけないだろうと思う。