u1row's blog

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スポーツマンシップ

「健全な肉体に健全な精神が宿る」というのは誤訳だという。元は「神様に願い事をする時は、あれこれお願いするのではなく、心身ともに健全であることだけにすべきだ」といった意味だったらしい。

「健全な肉体」と「健全な精神」の間には因果関係はない。考えたら(考えなくても)当たり前のことだが、そこに因果関係を無理に見出そうとする人が未だにたくさんいるらしい。

「スポーツマンにスポーツマンシップが宿る」と言い換えてみる。スポーツ選手にはスポーツマンシップが自ずと備わっている?そんなわけがない。

おそらく、この手の精神的な態度は、文化的なもの、あるいは特定の集団で共有されるルールのようなものだろう。

つまり「スポーツマンシップ」は、文化的な背景がなければ育たない、もしくはルールを教育しなければ共有されないものだろう。

アメフトのニュースを見て思う。指導者の責任は「ラフプレーを指示したか・していないか」について問われる以前に、フェアプレーの文化を作らなかったこと、あるいは最低限のルールを教えなかったことについて先に問われるべきだったんだろう。

目立ってわかりやすいダメな指導者をみんなで批判するのはある意味簡単なことだ。

それで、そのダメな指導者が社会的な制裁を受ければスッキリするのかもしれない。

でも、むしろ批判している世の中の人たちが「健全な肉体に健全な精神が宿る」「スポーツマンにスポーツマンシップが宿る」という幻想を捨てることの方がこれから先に繋がるだろうにと思う。