u1row's blog

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天然の塩

土俵の女人禁制問題に解決はあるだろうか?
あるとすれば「土俵に女性が上がれるようにすること」がゴールだろうか?
これを不公平、不平等の問題だと考えると、それも一つのゴールなのかもしれない。
ただその場合、土俵問題が決着したら、今度は、男子校に女子を送り込み、女子校に男子を送り込み、男子トイレに女子が入り、女子トイレに男子が入り、、、、
例えがよろしくないかもしれないが、何れにしても平等に利用・アクセスできない場所を一つずつ潰していくという運動を展開していくことになるのだろうか?

儀式やら伝統やら、個人的には胡散臭いものだと思っているが、
だからと言って、フィクションとして成立している世界に社会的平等やら公正といったものさしを適用するのがイイことだとは思えない。
相撲という儀式において土俵が女人禁制だと言うなら、それはそれで一向に構わない。
それを受け入れる人間がその儀式を楽しめばいいだけじゃないかと思う。
その時代の価値観に照らしてあまりにもそれを不快に思う人間が増えればルールを変えればいい。

土俵だって、お寺だって、修道院だって、男子校だって、女子校だって、みんな詰まるところ、ある種の人が集まるために便宜上用意されたに過ぎない虚構じゃないか。
だからそんな場所には意味がないのではなくて、だからこそ、集まった人がその場をより意味のある場所にするためのルールを考えて守っていけばいいのだと思う。

今回のニュース記事を読んで個人的に「怖っ」と思ったのは、相撲関係者の中には儀式が破綻している緊急の場面においても形式的な決まりを最優先にする人がいて、しかも必ずしも一部の限られた面々というわけでもなさそうだということだった。
女性が土俵をおりたあとに大量の塩をまいたとも聞いた。どんな気持ちで撒いたのかと想像すると、そのメンタリティにこそ塩を撒くべきじゃないかと思う。

また例えがよろしくないかもしれないが、
「女人禁制」というのは、お笑いで言うならむちゃくちゃベタなネタのようなものだと思う。
大昔にはベタなネタを素直に受け入れて笑った時代もあったのかもしれないが、今となっては、ベタなネタは「ベタであること」を笑うのであって、笑わせる方も笑う方も「ベタ」を了解していることを前提としている。もしどちらかがそれを了解していなくても笑いが起こるとすれば、それはどっちかが天然で、いわば周回遅れで笑わせているor笑っているということだろう。

土俵に撒かれた塩は、きっと天然のいい塩だったんだろうな。