u1row's blog

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地元の写真の展示会

近所の行政センターで地元の古い写真の展示会を開いていると聞き見に行った。
会議室と思しき空間を開放して、可動式のボードにペタペタと写真を貼り付けただけの簡素な展示会だったが、近所の見なれた風景の50年前、100年前の写真はやっぱりおもしろい。1枚1枚じっくり見ては、現在との違いや今も残る痕跡を探して楽しんだ。

ひとつ印象的だったのは、小学校の校舎が木造から鉄筋に変わると、どこの小学校も同じになるというところ。
昭和30年代〜40年代にかけて、木造校舎から鉄筋校舎の入れ替わりが進んだようだ。
耐震性、耐火性といった観点で、この切り替わりは当然の流れだったんだろう。ただ、ここまで同じ見映えに統一する必要はあったんだろうかと不思議に思う。
当然、展示されているのは横須賀市内の小学校の写真だけだが、自分の通った神戸の小学校も似たようなデザインだった。
全国どこも鉄筋校舎というとある決まったデザインの型があるようだ。

これも時代が生んだひとつの型であると考えれば、これはこれで「文化的」と言えるのかもしれない。
ただ、これを「文化的」と捉えられる感覚は、その渦中にいる者にではなく、外からの視点を持った者にしか生まれないだろう。
例えば、100年後の日本人は「今はなき、昭和中期建造の鉄筋校舎」を見て文化を感じるかも知れない。あるいは、海外の人ならば日本の小学校の校舎に何か日本の文化的特性を見出すかも知れない。しかしそれは、その時代、その場所に暮らす人間に「文化的だ」と自覚されるような文化、あるいは自覚的に生み出されたり継承されたりする文化ではない。

小学校の鉄筋校舎は、「ローカルな文化の一掃」「一様で標準的な価値体系の導入」を象徴的に表すモノとして登場したんじゃないか。
そしてそれ以降の写真(昭和40年代以降の写真)は、もっぱら「ココにあれがある、これがない」という風な楽しみ方だけになってしまうところに、世の中の諸問題の一端が現れているように思った。