u1row's blog

作曲、演奏、読書、アプリ制作・・・、生きた証を日々更新

BGMからBGCへ

帰りのバスで久しぶりにソニー・クラークのピアノを聴いていた。
なんとなく外を見ていたのだが、信号待ちでとまった時に赤信号の「赤」がやけに強く目に入ってきた。
停車中のほんのわずかな時間だが、信号の赤をこんなに印象的に感じたことはなかった気がした。
印象的ではあるが何ら特定の感情をともなわない、つまり嬉しくも悲しくもないし怒りも寂しさもない、ただスロー再生のようにゆったりと赤い光が目に入ってきた。
これは音楽の仕業だと思った。

文学作品にしろ美術作品にしろ、人間が作り上げるものはたいてい空間に築かれ一定の空間を占拠するものだが、音楽や語りはそれ自体は空間を占拠せず、かわりに一定の時間を占拠する。
音楽の時間に身を委ねると、物理的な時間の流れとそれと一体となった空間から遮断され、そこに独自の時間の流れと空間が生まれる。
16分、32分、64分とリズムが細分化され、とてつもなく早いテンポの曲であってもそのウラ拍が感じ取れたりするのは、表現する(される)音楽の時間に身を任せ切って場合にはじめて可能なのかもしれない。
信号の赤は、光源は信号の赤であっても、もはや信号とも色覚上の赤とも無関係に、ただ音楽の時間の背景として目に入ったものに過ぎなかったのだと思う。
主役が「物理的な空間」から「音楽的な時間」に切り替わる瞬間、言い換えるとBGM(Background Music)がBGC(Background Color)にシフトした瞬間に、BGCとしての信号の赤が視界に入った。
そんな風に理解した。