u1row's blog

作曲、演奏、読書、アプリ制作・・・、生きた証を日々更新

スナバ問題 つづき

自分で勝手に「スナバ問題」と呼んであれこれ考えていることがある。
子どもが砂場で遊ぶのをやめるのは「いつ」「どうして」かという問題。
去年の5月頃には、この問題についてこんな風に書いた。
『小さい子どもが砂場で泥遊びをするのは、遊んだ後のことを気にしないからで、やがて、「あとで面倒だとか不快だ」とかと考えるようになると、泥遊びをためらうようになり、そのうちその楽しさも忘れてしまう』
こう書いた時は、自分なりに納得して書いたつもりだったが、その後どうも違うような気がしてきた。
たしかにそういう側面もあるかもしれないが、それだけでは言い足りないという感じだ。

同じく去年の11月には、
『子どもが砂遊びをやめて砂場を卒業するのは、砂遊びを極めて「飽きる」からではなく、うまくできなくて「諦める」からだ』
と書いた。これは一瞬、結論に達したような気になったが、すぐに「そうとも限らんな」と思った。

そもそもこんなことを考え始めたきっかけは2つある。
ひとつは娘が小さい時の話。
いつも行くショッピングモールに、子どもが遊べる室内遊戯施設があった。いくらだったか忘れたが有料で、中に入ると乗りものやアスレチック的な遊具で遊ぶことができる。
娘はここで遊ぶのが大好きで「おクツぬぐ公園」と呼んで大はしゃぎで遊んでいた。
ところが5歳だったか、小学校に入った頃だったか、ある日いつものように「おクツぬぐ公園」に入ってダーッと一周走ったあと、
とつぜん真顔になり「もういい」と言い放った。
入る瞬間まで今までと同じようにハイテンションだったのに、急に何かを悟ったかのような卒業宣言。
それ以来、二度と「おクツぬぐ公園」には入らなかった。

もうひとつは、さらにずっと遡るがザ・ハイロウズが「不死身のエレキマン」という曲を演奏しているのをテレビで見たこと。
いわゆるバンドブームの洗礼は受けていないので、ブルーハーツも、ザ・ハイロウズも基本的には大して好きではないが、妻が好きだったのでその影響で多少聴いたりした。
ダウンタウンの番組にザ・ハイロウズが出るというので録画して見たのがこの曲。
この曲の歌詞の一節で「子どもの頃からあこがれてたものになれなかったんなら大人のフリすんな 」
というのがずっと頭に残って、以後ことあるごとに頭に思い浮かぶようになった。

ということで、「スナバ問題」。
これは、いつ子どもは子どもでなくなるのか、それはそうでなくてはいけないのか、という問題で、
個人の問題であり、家族の問題であり、社会の問題でもあるのかもしれない。
あの時の娘の真顔のワケがわかる時が来るだろうか。