u1row's blog

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『兼好法師/小川剛生』読了

最初に覚えたのは「吉田兼好」の名だった気がする。
その後、いつだったか「吉田兼好」ではなく「卜部兼好」もしくは「兼好法師」が正しいと教わったが、なぜなのかの説明はなかった。
理由は、「兼好は吉田流卜部家に生まれたが、当時吉田流卜部氏は吉田家とは名乗っていなかったから」というのが通説らしい。

しかし著者は、「兼好法師が吉田流卜部氏であるということ自体が捏造である可能性が高い」という。
兼好法師が亡くなって約100年後、吉田神社神職だった吉田兼俱は、息子吉田兼致の出世のため、また吉田神道の権威を高めるためのために、
祖先に有名人がいたように見せる偽の家系図を作ったのだそうだ。兼好法師の他にも、勝手に家系に挿入した著名人が多々いるらしい。

おそらく兼好法師の実像は、通説に言われる六位蔵人よりもずっと下級、無位無官だったのではないかというのが著者の説。
六波羅探題南方に就任していた金沢貞顕の元で働いていた可能性が高く、そのため京都東山や、貞顕の地元、現在の金沢文庫称名寺)に足跡を残しているのだという。

この本は素人目にはかなり緻密な考察を展開しているように感じたが、こちらの前提知識がかなり心もとないので半分くらいは字面を追いかけるばかりになった。
ただ、兼好法師称名寺金沢文庫にゆかりのある人物だと知って、初めて鎌倉~室町にかけての歴史に少し関心がわいた。