u1row's blog

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念力について

こんな風に考えるたら「念力は実在する」と言えるんじゃないかと思った話。

まず、自分を念力を行使する側に置いて考えると、いくら念を込めても物体は動かないし、隠れたものが見えることもない。
つまり「念力はない」という結論に簡単にたどり着く。
他人が念力を行使する様を見たとしても、何かしらトリックがあるのかもしれないなどと考えて、結局その実在を確信することはできない。

では、自分が念力の受け手だと仮定するとどうだろう。
自分の日常を振り返った時、完全に自分の意思だけで選択したり決断したりすることがどれだけあるか。
一から十まで自分の思考だけを積み上げ、自分の感情のみに基づいて振る舞うことなんてありえない。
「きっと相手はこう思うだろう」「ひょっとしたらこんな風に考える人もいるかもしれない」などと、他人の気持ちや考えはイヤでも意識してしまうものだ。
こんな時、自分が主体的に他人に配慮しているように見えて、実は、自分は受動的に他人の念力を受容しているのかもしれない。
何をするにしても、あるいは何もしない時ですら、いろいろな人のことが頭をよぎる。
これはある意味、念力を受信していると言えるのではないだろうか。

すると、
念力は多かれ少なかれ誰にでもある。
しかし発信する側も受信する側も、その力を制御も、意識することさえもできないのが実情である。
と考えることもできるのではないか。

そう考えたからといって、「念力なんてない」と考える場合と何が違うのか。
それは何となくの心持ちが違うだけかもしれない。