u1row's blog

作曲、演奏、読書、アプリ制作・・・、生きた証を日々更新

『ウィンクで乾杯/東野圭吾』読了

バブリーな設定はともかく、電車の友にはピッタリの内容と分量だった。
推理もののドラマにもいいなと思うものの、このままの設定で映像化しても時代錯誤で使えないだろう。
映像コンテンツってリサイクルしにくいメデイアかもしれない。小説ならば、時代のギャップを埋める程度の調整は簡単だ。頭の中で足りないものは補い、不要なものは切り捨てられる。でもこれが2時間ドラマなどの映像コンテンツになると、自動車電話やカセットテープが映像として目に入った瞬間、思考は停止し「ダレが犯人か」「どういう犯行か」といったところに考えが及ばなくなる。

映像作品のデフォルトは、
What you see is what you get.
という言葉に尽きるかもしれない。つまり、見たまんまで、潰しのきかないのがデフォルト。
じゃあこれにどんな工夫を施せばいいのか?
その前に「見たまんま」のどこが悪いのかと開き直るのもひとつの選択肢だろう。使い捨てと割り切って、一度きりの「わかりやすさ」に全力投球する。コレもありだ。
悲しいのは、普遍・不変を意図したのにその場限りのモノができてしまうことだろう。映像はこの比率が他のメデイアよりも高くなりやすいんじゃないかなぁ、、、
こんなことを書くつもりはなかったのに、なぜかこんな感想になった。ま、それはいつものことだが。