u1row's blog

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『リスク化する身体/美馬達哉』読了

メタボのリスク、心疾患のリスク、ウイルス感染のリスクなど、人の身体に関わる様々なリスクが医学・公衆衛生の分野で取り上げられるようになったのは、1970年代後半以降なのだそうだ。医学以外の経済や政治その他の分野で「リスク」という言葉が用いられらようになったのも、ほぼ同時期。今では当たり前に使われる「リスク」が「顕在化」したのは、ここ30、40年ということらしい。
確率的に起こる現象で、前もって確率分布がわかっているものをリスク、分布がわかつていないものを不確実性とする定義がある。つまり、リスクには客観性があり可視化されるもの、という共通認識があるということだが、この「客観性」「可視化」というのがクセもので、客観的に見えて様々な意味づけがなされていたり、可視化の内実は単に「見えるものを見ているだけ」だったりする。
3.11とその後に起こったことに象徴されるように、いまリスクは、専門家による確率計算によっても、最悪の事態を想定するシナリオ分析によっても制御できないものになりつつある(リスクの不確実性化)という。
著者が言う「リスクを通じた統治」のあり方が大きな転換点を迎えつつあるということだろう。
この転換の渦中にあってそれを自覚するには、まず「リスク」という言葉を無自覚に使わないことかな。前から自分でも気になっていた。リスクという言葉を安易に使ってるなあと。「懸念」「不安要素」「危険性」など、言い換えられる言葉を考えずに、とりあえず流れで「リスク」と言う気持ち悪さ。
しばらくちょっとこの言葉を使うときに、どういう意味で使っているか考えてみよう。