u1row's blog

作曲、演奏、読書、アプリ制作・・・、生きた証を日々更新

日本語に頼らないコミュニケーション

日本語に頼らないコミュニケーションができたらいいなと思う。言葉は思考の源泉であると同時に、枠ぐみを与えて飛躍を抑えるものでもある。
日本語に頼らないというのは、1つには外国語を話すことがある。外国語を話すと、きっとそれだけで思考の枠組みが広がるだろう。
やっぱり英語くらいはちゃんと話せないとなという気持ちはずっとあるが、いまだに「問いと答え」がセットになっていないと扱えないという問題を抱えたままだ。

もう一つ、日本語に頼らない手段として、そもそも言葉に頼らないコミュニケーションへの憧れがずっとある。思い浮かぶのはジョアン・ジルベルトの来日公演。
コンサートの途中で俯いたまま身動きひとつしなくなった。自分が観た日はそんなに長くはなかったように記憶しているが、中には10分以上、停止していた日もあったらしい。
「寝てた」という説もあるが、本人が言うには、日本の聴衆の音楽を聴く態度にいたく感動して、客席の一人ひとりに心の中で感謝の想いを届けようと語りかけていたらしい。それが本当かどうかはわからないが、そういう形の対話があるのならば、あるいは許されるのならば、自分はそんな風に人と関わりたいと思う。
毎日駄文を書き連ねながら思う。こんな文章は、本音でもなければ、本当でもない(別にウソを書いてるわけじゃないが、ウソでないこととホントであることの隔たりはとてつもなく大きい)。
ポルトガル語ネイティヴのジョアン・ジルベルトが、大半が日本語ネイティヴの聴衆に黙ったまま語りかけたあの姿には、どんな修辞にも勝る意思伝達の極意が凝縮されているのように思う。