u1row's blog

作曲、演奏、読書、アプリ制作・・・、生きた証を日々更新

『鈍感な世界に生きる敏感な人たち/イルセ・サン』読了


とても敏感で繊細な人はHSP(Highly Sensitive Person)とカテゴライズされるそうだ。外部からの刺激、音や光といった物理的な刺激に限らず、他人の表情などの社会的な刺激も含めて、そういったものに敏感に、あるいは過剰に反応してしまう人のことを指し、一説には5人に1人がHSPだとも言われているらしい。総じて、HSPの人は内向的な人が多く、自己評価が低くなりがちなんだとか。傷つきやすい人が内向的なのは、ある意味当たり前のような気もするが、逆にHSPでかつ外交的な人も30パーセントくらいいるという。つまりは、今までは"shy"の一言で片付けられていた人たちが、HSPという言葉を知ることで、自分をもう少し正確に同定できるようになるかもしれないということらしい。
自己を規定する言葉を求めている人はたくさんいる。拠り所や属性のない不安は自分の存在の根源に関わることだから当然だろう。HSPという言葉で救われる人がいるなら、このカテゴライズの意義は大きいだろうし、世の中にこの言葉が認知されることで、"diversity"という言葉が、単に性別や人種の多様性をいうのでなく、人の内面の多様性も含めて使われるようになれば素晴らしいことだと思う。
、、、と他人事のような意見を書いたが、冒頭の自己診断チェックをしたら、ブッチギリのHSPだった。
この診断結果を受けて
「そう、世の中は生きにくいのです、僕のようなHSPにとって、、、」
という気持ちもなくはないが、「そんなものに自分をカテゴライズしたくない」という気持ちも強い。
「性別は?」と聞かれて「男だ」と答えるのに葛藤はないが、「お前は何者か?」と問われて「男だ」とは答えない。同じように「HSPか?」と聞かれたら、診断結果からすると「そうだ」と答えるしかないかなと思うが、「お前は何者か?」という問いに「HSPだ」とは答えない。
人間はもっと複雑なんだ。新しい言葉で形容すると、その言葉をすり抜けてもう一階層深いところでアイデンティティを巡る葛藤が始まる。そういうものだと思う。
自分は、男であるよりも、中年であるよりも、日本人であるよりも、HSPであるよりも、もっと深いところで悩む何者かだ。
と、こんなことを言うのは、まさにHSPの特徴らしい。