u1row's blog

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ドラえもんとメアリーの部屋

ドラえもんひみつ道具で、食べものの写真を見ただけで満腹になる道具の話があった。名前はなんだっけ?「グルメテーブルかけ」は実際に食べるから違うし・・・


Mary’s room”という思考実験があるというのを知った。
「モノクロの世界しか知らないメアリーが、突然フルカラーの世界を目にしたらどうなる?」
という問いかけ。
前提としてメアリーは視覚の神経メカニズムについてあらゆる知識を持っている人物とする。
色を認識するということに関してありとあらゆる知識を持っているが、ただ一点、白黒以外の色を見た経験がない。
そのメアリーが、ある日赤い果実や青い空を見た時に、そのことは彼女にとって新しい学びになるのかどうか。
もしメアリーが何か新しいことを学ぶとすれば、科学的な知識だけでは説明し尽くせない何かが存在するということになり、
クオリアの存在を示唆することになるらしい。


この話を聞いて思い出したのが、冒頭のドラえもんひみつ道具
ひみつ道具は基本的に「できたらいいな」の世界だから、裏を返すと「(少なくとも現在の)現実世界ではありえない」ことを描いている。
料理本を見るだけで満腹になるという道具は、「料理本=知識」「満腹になる=経験・実体験」と置き換えると、
「知識だけでは、経験したことにはならない」というのが常識的な感覚であることを表している。


でも、もしひみつ道具が本当に開発されたらどうなるだろう。
道具でなくても、ある種の薬物によって視覚のみで満腹を感じさせるということは、ひょっとしたら可能かもしれない。
感覚の上では、知識と経験・実体験の間に全く差がない状況においても、経験・実体験は新たな学びと言えるか?


「学び」と呼ぶかどうかはわからないが、差があることはたしかだろう。
実際にモノを食べた場合、栄養価なり何なり、何かしらの物質が体に入り、体内ではさまざまな化学的な反応が起こる。
薬物などでその経験と同じ感覚を完全に再現したとしても、それは仮想シミュレーションであって、実在の物質によって引き起こされたものではない。
もっと単純に、食べ物の知識では体重は増えないが、実際に食べるとその分だけ体重が増える。


さて、フルカラーを初めて目にしたメアリーが何かを学んだのかどうか。
これは、メアリーが「学んだという感覚を持った」というレベルの話と、「物質的な何かを獲得した」というレベルの話で区別すべきかもしれない。
前者のみで考えると、常識的な感性には合致するが、人の感覚は騙されやすいという事実が見落とされるように思う。

知識と経験の間にあるもの。
もしそれが、満足感だとか気づきだとか自信だとか感覚的なものだけだとすると、満腹のまま餓死する人を許してしまうんじゃないだろうか。
経験の「質」は、「物質的な何か」に還元されるべきものなのかもしれない。