u1row's blog

作曲、演奏、読書、アプリ制作・・・、生きた証を日々更新

先輩・後輩

この四月で子どもが中2になった。本人からは特に何も聞いてないのでどんな感じなのかはわからないが、学校からの通信などによると、「中2に進級する」=「後輩ができる」というのが非常に重要なことらしい。
「後輩に範を示す」「年長者として恥ずかしくない言動」などと、もっともらしい言葉を目にしたり耳にしたりすると、自分のことではないのに、むくむくと反発心が頭をもたげる。
「たった1年先にいる」というだけで、模範となれるのだとしたら、そこで求められている範のレベルは相当低いんじゃないか、、、という嫌味が頭をよぎる。
が、もっと本質的な嫌悪は、これが管理の手段として利用されているように感じることから生じる。
年長者が年下の者に抱く感情はごく自然なものかもしれない。でも、これを「先輩・後輩」という構図に組み込む時、そこには、組み込む主体、つまり管理ツールとして利用する主体の意図が見え隠れする。
反発の対象はこれだ。
先輩になったというだけで後輩に偉そうにするのは醜いが、そんな個人の態度の醜さよりも、ある種の仕組みに乗っかっていながら、そのことに気づかない愚鈍な感性、そしてその先輩を範とするしかない後輩の不幸の方がずっと問題だろう。不幸を再生産する仕組みが既成事実化し、自動化して、誰にも止められない暴走車と化す可能性がある。
ま、「先輩・後輩」文化には良いところもたくさんあるというのはわかる。が、前提として「長幼と優劣は別」という共通認識、少なくとも年長者にその意識がないと、うまくいくかどうかは、偶然に左右されることになる。
きっと中学に限らず、世の中のいろんな組織に当てはまることだろう。