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u1row's blog

作曲、演奏、読書、アプリ制作・・・、生きた証を日々更新

某ニュースをみて

教育勅語を教材として活用するかどうかは、学校に委ねられるのだという政府の答弁。
とっくの昔(1948)に廃止されたものに、現在の教材として活用される余地があるとすれば、せいぜい古典や歴史の授業で資料として取り上げることくらいだろう。
そんなあたり前のことを、あえて明確にせず現場に判断させるというのは、誤った活用を誘発する、あるいはそれをむしろ期待しているのではないかと思われる。
仮に、問題が起こっても、それは学校もしくは一教師の問題でしかないということか。
責任の所在がはっきりしない気味の悪い状況が生み出されつつあるんじゃないか。
憲法を変えたい理由のひとつは、時代に合わないからではなかったっけ?
「朕おもふに」で始まる文章に時代を超えた普遍性を感じる人たちが、恒久平和を謳う文章の普遍性は認めないのはなぜだろう。