u1row's blog

作曲、演奏、読書、アプリ制作・・・、生きた証を日々更新

ルーティーン

理由はともかく、毎日何かにつけ日記をつけながら、
自分の文章はとても日本人的な文章だと最近思うようになった。
何をもって日本人的と言うのかはとても深い問題だが、それはさておき、自分の文章は、何かの本で読んだ「日本人的な文章構成」にぴったり合致する。

たしかその本では、典型的な日本人的な文章として天声人語をとりあげて、
「こういう文章は欧米の感覚からすると結局何が言いたいのかわからない」
と言っていた。
「欧米的」というのも一概には言えないが、たぶん論理構成がハッキリしているという意味なんだろう。
例として挙げられた天声人語の文章は、一見つながりのない幾つかのエピソードを取り上げ、最後にそれらを結びつけるようなオチをつぶやくという構成だった。
直線的な論理構成はなくて、同じところをグルグルと環状に巡る。

こういうのは、きっと「何が言いたい」「何を伝えたい」というのではない。
たったひと言、気の利いた言葉があるかどうか、説得的かどうかよりも粋かどうかがを基準に綴られた文章と言えるかもしれない。
自分の文章はなかなかの不粋ぶりを発揮しているが、何かを伝えたくて書いているのではないという点ではこの基準に合致する。

「何かを伝えたいのではない」と言ったが、ひとつだけ伝わってほしいものがあるとすれば人そのものかもしれない。
文章では、何が正しい、何が優れているといった主張を前面に出すと、それを語る人物が背景に引っ込むような気がする。
(映像では口にする言葉以上に伝わるものがたくさんあるが)
何を語るかではなくて、語っている人そのものを伝えるには、日本人的な文章はとても有効なんじゃないか。

ということで、
差し当たっては「今日も達者に暮らしています」ということ、未来に向けては一庶民のサンプルとして「こんな人もいました」ということが伝わるといいなと思いながら、このルーティーンを続けている。