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u1row's blog

作曲、演奏、読書、アプリ制作・・・、生きた証を日々更新

場所には意志なんてない

場所には意志なんてないのだが、ある場所に受け入れられている、とか拒絶されていると感じることはままある。はじめて訪ねる街でもなぜか親しみを覚えることもあるし、長く縁のある場所でもどうしても疎外感を感じてしまうこともある。
場所には意志なんてないのだから、きっと錯覚なんだろうが、場所は関わりを求めてくる。ただその場にいるだけというのは許されない。写真を眺めるのとは違って、その場にいる時には、その場所と交渉することが必要になる。場所に親しみを覚えたり、疎外感を覚えたりするのは、きっとその場が求めてくる交渉の流儀が、肌に合う合わないの違いなのだろう。
場所には意志なんてないのだとしたら、この交渉は何を相手にしているのだろう。器に注がれる水は、器の形に満たされる。これは器が水を整形しているのか、それとも水が器に適応しているのか。人は場所に適応しようとするが、水のように液体ではないから、そのものの形になることはできない。だから、多少なりとも窮屈だと感じる。程よい窮屈さは親しみに、それ以上に窮屈になると、疎外感を覚えるのかもしれない。個人は他から独立したものでありながら、常に場に適応しようと形を変える流体的な側面ももつということだろう、きっと。
電車の窓から、夜の街並みを見ながら考えたことでした。