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u1row's blog

作曲、演奏、読書、アプリ制作・・・、生きた証を日々更新

来年の昨日

昨日は終戦の日だった。他の祝日やら祭日やらなんかと同じで、毎年巡ってくるこの日。
平和について考えるだの何だのと言っても、直接経験したわけではなく、伝聞の知識でしか知らない者にとって、毎年同じ気持ちを新たに積み重ねることはとても難しい。
実際昨日は、終戦に関わることが何か書けないかと小一時間ほど考えたが、何も思い浮かばなかった。
思い浮かばないのに、ただその日が終戦の日であるという理由だけでそのことについて書くのはイヤだと思って書かなかった。
その直後、全国戦没者追悼集式の天皇のメッセージがニュースになっていたのを読んだ。
「ここに過去を顧み、深い反省とともに、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願い、・・・」と語ったそうだ。
「毎年同じ思いを新たに積み重ねる」という簡単なようで極めて難しいことを、誰よりも実直に実行しているのは天皇なのかもしれない。

三島由紀夫が東大全共闘との対話でこんなことを言っていた。
天皇というのは、それほど堂々たるブルジョアじゃないんだ。もし天皇がたらふく食っているような堂々たるブルジョアだったら、革命というのはもっと容易だった。
そうでないからこそ革命は難しいんじゃないか。そしてその難しさの中で、諸君は戦い、ぼくだって戦っているんだ。それはね、日本の民衆の底辺にあるものなんだ」
また、別の対談では「日本で内発的な革命が起こらないのは天皇がいるからなのか、天皇がいるのは内発的な革命が起こらなかったからなのか・・・」と語っている。

本来一人ひとりの人間が心に負っているもの、あるいは負うべきものを、象徴という名の存在に押し付けてしまっているという図式が定着してしまっているのかもしれない。
それを務めと自認する姿は美しいけれども、その美しさはどう評価したらいいものなんだろうか。
来年の昨日は何かしら書けるようにしたいものだ。