u1row's blog

作曲、演奏、読書、アプリ制作・・・、生きた証を日々更新

意味や意義を問うのではなく

いつだったか、なぜだったか忘れたが、
何年か前にふと考えたことがあった。
人の存在は「意味・意義」を問うべきものじゃなくて、解せない「問題」として扱うべきものだと。
それ以前から「自分は他人にとって意味のある人間であるより、問題とされる人間になりたい」と思っていた。
「問題児になりたい」というのではなくて、解せない、もしくは疑問符がつく存在でありたいということ。

昨日の相模原で起こった凶行のニュースを見て、上記のことを思い出した。
妄想に駆られた狂人の犯行と切り捨てれば済む話かもしれないが、
彼が抱く妄想は、人に「存在意義」だとか、生きることに「意味」だとかを求める、ごく一般的な思考の延長線上にあるように感じる。
「一人の命は地球よりも重い」なんていう発想は、存在の意味や意義を重さに例えただけで、裏返すと「意味や意義を見出せないものに重さはない」と言っているにすぎない。
つまり、この発想では彼の妄想を論破することはできず、ただ切り捨てることしかできないんじゃないか。
人の存在に意味や意義を見出そうとするのは、人間の傲慢さの表れであって、もっと謙虚に一人ひとりの人間に疑問符を付し、解せない存在として尊重しないとならないのではと思った。
人は他人に対して、さらに自分自身に対しても、常に「問題」である。
解せないものに対する謙虚な姿勢があれば、犯行に及んだ狂人の妄想に、はっきりと「否」を突きつけられるように思う。