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u1row's blog

作曲、演奏、読書、アプリ制作・・・、生きた証を日々更新

4歳の時の話を子どもにした

自分が子どもだった頃の話は、できるだけ娘に話しておきたいと思っている。
何かを成し遂げたわけではないし、冒険と言えるような経験をしたこともない。
自分の過去にハイライト的なものはあっただろうかと思うのような半生なので、「何をした」という話をするのは難しい。
でも、「何を思ったか」「どう感じたか」という話ならできそうだ。
別に自分のことを知ってもらいたいと思っているわけじゃない。
説明するのは難しいが、自分というサンプルを通して人間についてよく知ってもらいたいという気持ち、と言えるかもしれない。
一人ひとりの人間は、ボタンを押したらピコン、ピコンと反応するような単純なものじゃなくて、隠した感情や混ざり合った心情を抱えた複雑な生き物だという認識を共有したいという気持ちとも言えそうだ。

 

とはいえ、いくら家族だからといって、いつでもどこでもそんな話ができるわけじゃない。中学生の子に、親が一方的に話せる機会というのは結構少ない。
一方、中学生になったから話せそうだと思うこともある。
もっと小さかった時は、今よりも親を演じなければならないという意識が強かった。
中高生になって、徐々に親を弱さや至らないところのある人間として相対的に捉えるようになってくれば、こちらからも迷いや悩みを隠さずに、そういったものを抱えている者として話ができるように思う。

 

昨日は、たまたま妻が出かけて不在だった。
夕方涼しくなってから、ちょっと買い物がてら出かけようということになり、娘と近所を歩いた。
たわいもない話やら、クイズやらに織り交ぜて、自分が4歳だったときの話をした。
断片的に残っている小さい時の記憶は、トラウマとまでは言わないが、その時は消化できずにあとあとまで尾を引いた不安や失敗のエピソードが大半だ。
いくつか話したエピソードを興味深げに聞いてくれた。


ただ一番ウケたのは、太ももの話。
4歳にの時に、近所の友だちと一緒に写真を撮ってもらったことがあった。
さっさと撮ればいいのに「もうちょっと右に寄って」とか「顔を上げて」とか撮るまでが長い。自分は前列でキャッチャー座りしていたのだが、退屈して下を向くと自分の太ももが目に入った。
座り方のせいだと思うが肉が横に広がっている。それを見て「なんて太い脚なんだろう」と思ったことがなぜか鮮明に記憶に残っている。
美脚志望の娘にとって、「太ももの太さ」というのにそれなりに訴求力があったらしい。
他にも良心の呵責だとか、理由のない不安といったことにつながるエピソードもあったが、そういった話はわかりやすさに欠けた。

またこんな機会があるといいな。