u1row's blog

作曲、演奏、読書、アプリ制作・・・、生きた証を日々更新

『The Mystery of Samba / エルマノ・ヴィアナ』読了

読み応えのある本だった。
固有名詞がわからないせいで流し読みにならざるを得ないページが多かったのが残念だが、知識を蓄えてから読み返したらきっと再発見できることがたくさんあるだろうから、その時のために楽しみを取っておくということにしておこう。

なぜサンバがブラジルを象徴する音楽となったのか。
実は、ブラジル人たち自身もそのことに無自覚であるようだ。
ブラジルを象徴するメスティーソ(混血)の文化は、かつては自分たちの後進性を象徴するコンプレックスの源泉だったそうだ。
それがある時期から、人種の多様性メスティーソの文化こそがブラジルの本質であり、これを最も端的に象徴するのがサンバだという風に突然変わったのだという。
著者はこの急激な変化、つまりサンバが国民音楽として突然現れたことを「ミステリー・オブ・サンバ」と言って、これを解明しようとしたのがこの本。

著者によると、時期は1910年代〜20年代。
それ以前は、カーニバルで演奏される音楽はサンバに限らず、地方の音楽やヨーッロッパの音楽などかなり多様だったらしい。
サンバは、もともと希薄だった国民意識を発揚するための道具として国家が意図的に利用したところがあり、折しもラジオが普及した時期と重って急速に国民音楽の地位を得ることになったのだとか。

ブラジル人自身が、サンバを「古来から受け継がれてきたブラジルの魂」というように考えているところがあるが、
まず「古来」というのが大きな間違いで20世紀に入ってから生まれたものである。
また、リオデジャネイロという大都市で生まれたものが、地方の文化を侵食する形で広まったもので、そもそもブラジル全体を象徴するものはなかったという。

こうなってくると、ブラジルに限ったことではなく、日本で起こっていることと何も変わらないように思う。
演歌は日本人の心・・・みたいな。
国家という幻想を共有するためには神話が必要とされる。神話は捏造であったり、事実を誇張したものであったり、切り取ったものであったりする。
音楽はその片棒を担いでいるという話だが、音楽(あるいはその他のアート)を安易な共感の道具として捉える限りは、このワナから逃れることはできないだろう。
つまり、「あ、わかるわかる」「あ、それわたしも」という観点でしか人の作品を鑑賞できないならば、常に付けいられ、利用されるリスクを負っているということだ。
何かしらの作品に心が動かされることがあるが、それは人の心が動いているのであって、国民の心や民族の心が動いているわけではない。
安直に他人と繋がろうとする前に、まず自分の心をちゃんと見つめろということだろう。