u1row's blog

作曲、演奏、読書、アプリ制作・・・、生きた証を日々更新

発話の価値

ちょっとした会話からふと考えたこと。
「話をしたい人」と「話を聞きたい人」ではどちらの方が多いのか。
高齢化の向かう先は、圧倒的多数の「話したい人」と、圧倒的少数の「話を聞きたい人」のアンバランスだろう。
「発話=情報=価値」という等式はもう崩壊していいる。
情報を与える側の重みはどんどん消え去って、情報を受け取る側の存在価値が高まる。もはや人生訓みたいな話はありがたがられることはない(これは昔からだが)。
さて、自分もこれから歳をとっていき高齢化社会のストライクゾーンとなる世代の一人。自分にどんな情報を発信できるのかという発想は捨てた方がいいのかもしれない。むしろ「話を聞く人間」像を思い描いた方がいいのかもしれない。
そこでさらに思う。話を聞く人間とは?
たぶん、「話をする」「話を聞く」は作用・反作用の関係で、一方通行ではない。どちらかのアクションは、もう一方を自ずと引き出すものなんだろう。
こうやって毎日手記を残すのもリア充レポートではなく、そこに受け手にとっての意味を見出すことができないとならない。自分の価値を高めることができるかどうかは、明確な聞き手・受け取り手があるかどうかだ。読み手の数の問題ではなく、たった一人でもコミュニケーションが成立する相手の存在するかどうか。
 ここまでくると、いつも考えていることの焼き直しだ・・・
今までとちょっと違うアイデアが思い浮かぶかと思ったが、今日のところはいつも思っていることの再確認ということで、まあ良しとしよう。