u1row's blog

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『だからデザイナーは炎上する / 藤本貴之』読了

オリンピックのエンブレムを巡る騒動を振り返り、デザイン業界が抱える課題を提起する。
「ひとネタ一冊」系で、繰り返し同じことを言っているんだけど、著者の熱が伝わってくるので内容は楽しめた。

五輪エンブレムに盗作疑惑が持ち上がり、説明せざるをえない状況に追い込まれたアートディレクター某氏。制作コンセプトをダイバーシティだとかインクルーシブだとか、もっともらしいがさっぱりわからない言葉で解説した。
筆者は、こんな風に説明を加えていること自体が、本来もしくは現在、デザインに求められるものを満たしていないのだという。説明しないとわからないデザインはデザインじゃないと。
デザインは本来わかりやすいものでないといけない。デザイナーはわかりやすい表現を追求する技術者であって、主観的な表現を追求するアーティストではない。このことが共通認識となっていないところに、今日のデザイン業界の問題があるのだと言いたいらしい。
家政婦のたとえが的を射ていると思った。家事は誰もがする日常の行為だが、それをあえて家政婦という家事のプロに託してみる。するとやはりプロの仕事は違うことに気づかされる。
デザインも同じで、ものごとをわかりやすく表現するというのは誰もが日常的に必要とするものだ。デザイナーはそれをプロとして行う技術者である。

シンプルであることと、わかりやすさとは別ものだという指摘も興味深かった。
今日、シンプルさを追求するあまり、本来必要な機能すら削いでしまったデザインが非常に多いという。ミース・ファン・デル・ローエの言う”less is more”をカン違いして、あるべきものまでなくしてしまって、それをオシャレだと持ちあげる。
インターネットを通じた情報の共有を前提とした社会において、シンプルさとわかりやすさの混同はこれからさらに問題になっていきそうだ。そうすると、筆者のいう技術者としてのデザイナーの役割はとても大きなものになるだろう。筆者が嘆いているのは、これだけ重要で大きな役割を担いつつあるのに、当のデザイナーたちがデザインというものを理解せず、アーティスト気分でいることなんだろう。

パクリはそれ自体悪いことではなく、それを技術として磨き、オリジナリティを表現する手段としていくのが、デザイナーが踏むべき学習の行程だというのもおもしろい。シンプソンズに出てきた、”Animation is built on plasiarism!”というセリフに大笑いしつつ、説得力あるなあと感心してしまったのを思い出した。