u1row's blog

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抱っこの向き

「フィロバティズム」「オクノフィリア」という用語があるらしい。
「フィロバティズム」は日常からの超脱のスリルを好む傾向、「オクノフィリア」は何かにしがみついていることを好む傾向で、なんとかという学者の造語だという。

これを読んで、ふと子どもが小さかった時に考えたことを思い出した。
子どもを抱っこするときに、子どもの顔をこちらに向けるか、子どもの背中をこちらにに向けるかで、その意味合いが全然違うんじゃないかということ。
「背中をこちらに向ける」というのは、背後から抱きかかえる形。
ふつうは抱っこというと、子どもと向かい合わせになる態勢のことを言うんだと思う。
背後から抱きかかえるのも「抱っこ」でいいのかな?別のネーミングがあるのかもしれない。


ま、ともかく、
向かい合わせは、「向き合う」という言葉のイメージのせいか、信頼関係を確認したり誠実さを示したりするのによさそうな感じがする。
一方、「背を向ける」というと、裏切り、不信とマイナスイメージにつながりやすいように感じられる。
でも、抱っこに関しては「(子どもの側からみて)背を向ける」抱っこの方が、より確かな信頼にもとづく態勢じゃないかと思う。


そもそも「向き合う」というのは、不安や不信を払しょくするための態度であって、その時点では不安や不信に満ちていることを示しているとも言える。「向き合う抱っこ」をしている子どもの目には親しか映らない。
親は自分だけを見つめる子どもを健気だと感じる。とすると、ひょっとして「向き合う抱っこ」は「親の満足」のための態勢ではないだろうか。


子どもを背後から抱っこすると、子どもは外の世界をキョロキョロと見渡し、目に入ったものに手を伸ばそうとする。抱える親の手を払いのけ、あっちこっちに行こうとする。そのことをもって「自分に頼ろうとしない可愛げのない子」と思うのか、別の感じ方をするのか。
自分は、背中を委ねてあちこちキョロキョロと見回す子どもを見ると、子どもにとっての基地の役割を与えられたように思えて、とてもうれしかった。


その時々の状況、親子それぞれの気質など、一概にどちらが良いとは言えないし、そういう問題じゃないだろう。
ただ当時「子どもに背中を委ねられるような存在になれたらいいな」と考えたことを、ふと思い出したという話。

でも、あれから10年ほどたって、「向き合おう」としている自分がいるような気がする。「向き合う」のは何のためか、自分が納得したいだけなんじゃないのかな・・・