u1row's blog

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『日本人は何を捨ててきたのか / 鶴見俊輔・関川夏央』読了

開国以前は、ジョン万次郎のような自在な個人がいた。
ところが明治以降、日本は「樽」になった。
と言って、明治国家を築いた人たちは「自在な個人」だったけれども、築かれた国家は個人を封じ込める「樽」となったのだと説く。
樽の中で優秀な人間は、東大卒、知識人、官僚、善人などの言葉で括られる人たちのことらしく、彼らは「一番病」にとらわれているのだという。


こういった比喩や造語が、自身の経験や皮膚感覚から出てきたものだというのがこの人の強みだったんだろう。
さまざまエピソードや人物評が語られているが、自分に知識がないため「なんかスゴそう」としか思えない箇所が多々あって残念。


これも自分の知識のなさのせいだと思うが、ご本人が自認する「異端」「悪人」というのは、ご本人が批判する「一番病」の人たちの中に居たからこそ得られた相対的な立ち位置だったんじゃないか、という意地悪な見方が頭をよぎった。


「語り口は思想である」というのは、たしかにその通りかもしれない。
ご本人の生の声=語り口に接すれば、「異端気取り」という疑念は払しょくできたかもしれない。


この延長線上で、この本とは全く関係ないことを思いめぐらせた。
死んだら文字しか残らない。ならばそれを見越して、語り口に依存しない何かを残すべきなのか。
いや、文字しか残らないというのはもはや過去の話。音声でも、映像でも、様々な形で痕跡は残せるものだと考えるべき・・・なのか。
いやいや、死んだら文字すら残らない。書けば、話せば残るなんて幻想・・・なのか。
いやいやいや、「残す・残さない」「残る・残らない」なんて発想自体が生への過信・・・なのか。

もう寝た方がよさそうだ。