u1row's blog

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『ハンナ・アーレント / 矢野久美子』読了

数年前にハンナ・アーレントを描いた映画がヒットしていたらしい。知らなかった・・・
映画はアイヒマン論争に絞って描かれていて、ずいぶん評判がよく反響も大きかったらしいが、全然気づかなかった。
映画ドラえもん以外にも、少しは映画の情報にも気を配らないとなあ。

 

この本は、映画とちがって、ほぼ時系列に沿って一生を描くわかりやすい構成。
たしかにアイヒマン論争のくだりは、割かれたページ数が多く内容も刺激的だったが、それ以外のエピソードにも考えさせられるものが多い。
きっとハンナ・アーレント本人にとっても、アイヒマン論争を巡るバッシングや余波は、自分史において大きな事件であったとしても、それによって自身の考えも行動様式も変わることはなかったという意味で、「思考と理解」のための一つの素材でしかなかったのだろう。

 

彼女の言葉がいろいろと物議を醸した理由は、言葉の位置づけが一般的なものとはズレていたからではないか。
たいていの人は自分を理解してもらうために言葉を用いる。意見を述べたり、主張したりするのは、「あなたは正しい」と他人に言ってもらうためであり、「わかるわかる」と共感してもらうためだ。
一方、彼女にとって言葉は自分が世界を理解するための手段で、「思考すること」と表裏一体のものだった。
他者と折り合いをつけることを一切顧慮せずに、思考と一体となった言葉を表明すると様々な軋轢が生じる。
しかし、もし言葉が他者との折り合いをつけるためのものばかりになると、そこで交わされる言葉には個々人の思考が伴わず、思考とは分断された言葉が溢れ、やがて人は思考を放棄するようになる。

 

思考しない人間によって構成される社会が全体主義的社会であり、第2次大戦下のドイツにだけ生まれ得たものではなく、いつでも、どこにでもそのような社会が生まれる芽があるのだという危機感を最後まで持ち続けた人だったんだろう。