u1row's blog

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『帰還兵はなぜ自殺するのか / デイヴィッド・フィンケル』読了

妻が読んでいてたのを横取りして先に読了。

イラクアフガニスタンに従軍した兵士は約200万人、そのうち50万人が、PTSD(Post Traumatic Stress Disorder)など、精神疾患に苦しんでいるという。そうした疾患は、自傷行為・自殺、家庭内暴力というかたちで、家族をはじめ周りの人を巻き込む。
この本は、イラクに従軍し帰還後別人のようになった若い兵士たちとその家族の数年間を綴ったもの。文字を追っているだけども息苦しくなるような描写が続く。


以下、読みながら考えたこと。
戦争には大義がある。その大義を自分の使命だと思って戦地に赴く兵士たちがいる。でも大義は大義でしかなく、決して個人の内面に呼応するものではない。
そもそも人には使命があるものなのかどうかはわからないが、少なくとも国の都合でする人殺しを自分の使命だとするのは、個人には背負いきれない矛盾を抱え込むことに等しい。
自分は正しい、自国は正しいと「正義」を胸に前線に立つ。
しかし、自国民(戦友)の死と敵国民(敵国兵、民間人)の死の間には何ら違いはない。自国民の死であれ、敵国民の死であれ、殺し殺されるという行為の結果であることに変わりない。
胸に抱いた「正義」は、殺人行為や死体の残像をかき消してはくれない。


国を戦争へと導き、大義を声高に叫ぶのは、前線に立たない人たちだ。殺人行為も死体も見ないから、その残像に苦しむこともない。戦争を決断し、大義を唱えるなら、お前が前線に立て。
権力者は思う。ひとりの兵士にはいくらでも替えがいるが、指導者たる自分は替えがきかない。しかし、それは都合のいい妄想にすぎない。
替えがきくのは、権力者の方だ。
権力を志すものはいくらでもいるが、前線に立つ兵士たちはそれぞれの小さな世界(家族や友人たちの間)で決して替えのきかない存在なのだから。
経済効率・希少性の観点から見ても、先に消費されるべきは権力者であって、一国民ではないということになる。