u1row's blog

作曲、演奏、読書、アプリ制作・・・、生きた証を日々更新

『悪魔のささやき / 加賀乙彦』読了

帰省中に読んだ本、その2。

おもしろかったので一気に読み切った。
結局、筆者の言う「悪魔」が、文学的な比喩なのか、精神科医として向き合ってきた患者の幻覚幻聴なのか、宗教的な意味合いのものなのかがよくわからず、
「その正体に迫る」といった期待した展開にはならなかったので少しモヤモヤが残った。
とはいえ、本人にとって「小説家」「精神科医」「カトリック信者」というのは切り分けたり使い分けたりできる個別の属性ではなく、切り分けがたく結びついて人格を形成しているのだろうから、こんな風な展開になるのも無理はないのかもしれない。


印象に残った話
・筆者がフランス留学中、孤独に押しつぶされそうになった時に窮地を救ったのは、それまで自分に禁じていた日本語を解禁して、日本語の本を読み、日本語の文章で周りの人たちを描写ようになったことだった。

・メッカ殺人事件の犯人で、1969年に刑死した正田昭と筆者の間の交流。これは小説『宣告』のモデルになっているのだとか。

・10年以上の長期囚は、興味の対象が極端に狭く、話題のほとんどは献立、仲間や看守の悪口といった所内の日常に関することに限られる。
外の世界の政治や戦争や娯楽や文化の話をふっても反応がなく、無表情に黙り込む。これは長い拘禁状態のストレスに耐えるために自分の精神状態を適応させるためで、プリゾニゼーションと言うらしい。筆者は、これは刑務所内に限ったことではなく、現代人全般に言えることだという。誰もがみな心配事を持っているけど、その心配事が自分の身の回りのことばかりで、お互いに似通っていて実に囚人的だ。こういう心理状態、無知な状態に悪魔がつけ込むスキがあるのだと。

・オウムで用いられていた「ポア」という言葉は、「殺す」という意味ではなく、「意識を高い次元に移す」という意味。悪人(オウムにとって都合の悪い人間)は、殺して次元を高めてやることで、その魂を救済することにつながるという理屈で、自分たちの殺人を正当化していた。

・終戦時、筆者は16歳。自ら軍国主義少年だったと振り返る。終戦を境に手のひらを返したように態度を変えた上級生や教師たちを目の当たりにした。
その後、スターリン主義に踊った知識人や学園闘争で過激化した学生たちに同じもの見いだし、本質的には何も変わっていないと感じたという。

 

Amazon.co.jp: 悪魔のささやき (集英社新書): 加賀 乙彦: 本