u1row's blog

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『道元入門 / 角田泰隆』読了

栄西-臨済宗-建仁寺道元-曹洞宗-永平寺ってセットで覚えたけど、
両者の関係なんて考えたこともなかった。
20歳そこそこの道元は、栄西の教えを受けようとしたがかなわず、栄西の弟子である明全から禅について教わったらしい。
栄西の弟子の弟子ということになる。
その後、明全と一緒に宋にわたり、禅の奥義を学び帰国。
永平寺福井県にあるのも、そういうもんだとしか思っていなかったが、
新しい教えを広めようとする道元に対して、比叡山の僧侶たちが脅威を覚え、京から追い出したのだそう。


道元の只管打坐は、悟りを得るための修行ではないという。
悟りを得るのが目的ならば、悟りを得た後には坐禅は不要になるのか?
いや、釈尊は悟りを得たあとも坐禅を実践した。つまり坐禅は目的に到達するための手段ではなく、それ自体が目的なんだ、
ということらしい。
道元の言葉は、宗教あるいは信仰というより、哲学のような感じがする。
そういえば、一昨年読んだ本に、
釈尊は、宗教的なカリスマよりも哲学者のような感じだった」というようなことが書かれていたのを思い出した。

覚えておこうと思った言葉
「説似一物即不中(せつじいちもつそくふちゅう)」。
何かを説明しようと言葉にすると、たちまち外れてしまう。
言葉は所詮言葉であって真理そのものではない、言葉は真理を表す一つの表現であるが、そのすべてを尽くせないということらしい。
だからといって、道元は言葉を軽視したのでなく、言葉で説明することをとても大切にしたらしい。
だからこその『正法眼蔵』ということだろう。

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