u1row's blog

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斥力が尊敬のワケ

昨日読み終えた友情についての本で、カントの話を書きそびれた。
カントは、「友情は、愛情という引力と尊敬という斥力のバランスの上に成り立っている」と論じたらしい。引力(引き合う力)が「愛情」だと言うのはいいとして、斥力(しりぞけ合う力)が「尊敬」だというのはどういうことだろうか。


ambivalent(アンビバレント)は「同一対象に対して相反する感情をあわせ持つ」という意味だが、必ず「近親者に対する愛憎」がわかりやすい例として挙げられる。
やはり「愛情」の対義語は「憎悪」というのが一般的な捉えられ方だと思う。
どうしてカントは、引力を愛情、斥力を尊敬だと考えたんだろう?


今日の帰りの電車はそのことを考えて過ごした。
(ちょっと頭が痛かったので、本を出すのも音楽を聴くのも億劫だった)


昨日の本には、たしかカントの友情論は、天体の運動に関するケプラーの法則に関連している、というような説明が書かれていた。
「引力と斥力が釣り合っているから、天体同士はぶつかることなく一定の関係を保つことができる。人と人の関係も同じように、引き合う力と同時に、その反対の力があってはじめて一定の関係を継続できる」と言いたかったらしい。


愛情が引力だとして、憎悪が斥力だと何か不都合があるだろうか?
愛憎が近親者、とりわけ親子間によく見られる感情だというところに着目する。
子はやがて自立して親もとを離れる。親しみは、その近しさのために憎しみを生じさせ、やがて離反する。
そう考えると、愛憎の結末は、関係の継続ではなく、関係の断絶だということになる。
つまり「斥力=憎悪」だと、関係は継続しないということだ。
だからこそ、逆に親子の関係に「愛憎」はなくてはならないのかもしれない。「愛憎」があるから別れられる(自立できる)という風に考えられるんじゃないか。


一方、同じ近親者でも夫婦の関係はどうだろう。
親子と同じ「愛憎」の関係だと、結末は離反。
2つの天体と同じように一定の関係を継続させるために必要な力とは?
ということで「尊敬」という感情が持ち出されたんじゃないかな。
「尊敬」は、相手の人格を認めることで、必要以上に踏み込まない慎ましさを伴う。
これを斥力とし、引力である愛情とのバランスがうまくつり合った時に、関係の継続が実現するということなのではないか。


ムリを承知で一般化すると
・愛憎の人間関係はやがて破綻する。
・親子の関係においては、自立という目標を成し遂げるために、破綻を承知であえて「愛憎」の関係を構築するのもよい。
・子の自立後も親子が良好な関係を保つとすれば、「愛憎」から「愛情と尊敬」の関係に移行できた場合、あるいは、最初から親子が「愛情と尊敬」の関係を築いている場合である。
・夫婦の関係においては、破綻を望むのでなければ「愛情と尊敬」の関係を構築するように努めるべき。

結論ぽくなったところで駅についた。
ただ、家に帰って改めて考えてみると、そもそもカントが論じたのは「友情」であって「夫婦論」や「家族論」じゃない。ちょっと都合よくアレンジしすぎだな。