u1row's blog

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『「インクルーシブデザイン」という発想 / ジュリア・カセム』読了

内容はとても興味深く勉強になったが、残念ながら文章が読みにくかった。

ユニバーサルデザインとインクルーシブデザインのちがい、ユニバーサルデザインの限界・・・
小項目を見ると「お、それ知りたい」と引きつけられるんだけど、もっと簡潔に答えを書いてくれないと「結局どないやねん」ってなる。(文章がエクスクルーシブ・・・)


で、結局こういうことらしい(一部、イヤだいぶ個人的解釈)。

ユニバーサルデザイン」という言葉に反発を感じるデザイナーは多い。
理由は「ユニバーサル=普遍=誰にでもあてはまる」という言葉が、デザイナーのやる気を削ぐから。たしかに「誰にでもあてはまるもの」というと、そこに刺激を感じるのは難しいかもしれない。それに「誰にでもあてはまるものは、誰のためにもならないもの」とも言えるだろう。


ユニバーサルデザイン」は「バリアフリー」の発想の延長線上にある。
そのため建築分野の発想がずっと抜けきらず、プロダクト分野への有効なアプローチが確立できないまま今日に至る。


「インクルーシブデザイン」は「エクストリーム(極端)」な例を排除しないという発想から出発している。だから、刺激的で創造的である。
従来は、エクストリームな例として排除されてきた人たちのためにデザインするから、「誰のためでもないもの」ではなく「この人のためのもの」と対象が明確。


マジョリティをターゲットにするということは、マイノリティは切り捨てるということだ。悪意はなくとも「できるだけ多くの人に」という発想は、均質な多数に属さない人たちを排除することにつながり得る。
そもそも、マジョリティとマイノリティ、あるいは強者と弱者の境界線は非常にあいまいなもので、誰もがマイノリティあるいは弱者になりうる。潜在的マイノリティも含めるとマイノリティこそマジョリティだとも言えるのに。
そこで「切り捨て(exclusive)」の発想をやめて、「包括(inclusive)」の発想でデザインすると、結果的には、ユニバーサルデザインが目指すところと同じ、「すべての人のための」デザインが実現できるのではないか。


という話だと思う。たぶん・・・

Amazon.co.jp: 「インクルーシブデザイン」という発想 排除しないプロセスのデザイン: ジュリア・カセム, 平井康之, ホートン・秋穂: 本