u1row's blog

作曲、演奏、読書、アプリ制作・・・、生きた証を日々更新

自己正当化

読んでいる本の内容が難しいと、目は字面を追っているけど頭では全然違うことを考えていることがよくある。
それでも以前に比べるとちょっとマシになった。
とはいえ、読書は基本的には自分にとって苦手なことへの挑戦だと思っている。


前に比べて少しは活字に集中できるようなったワケは?と考えてみる。
すると「活字に集中できるこようになった」というのは成長だと言えるのか?という疑念が湧いてきた。


ものごとの理解は、年を重ねると、象徴・比喩的な理解から、参照に基づいた理解に変わっていく傾向があるんじゃないかな。
「参照に基づいた理解」というのは、自分自身や他人の経験に照らした理解。その「経験」というのは「言語化された情報」と言い換えられる。
一方、「象徴・比喩的な理解」の方は、「経験」つまり「言語化された情報」に基づかない直感的な理解。
活字に慣れるというのは、「参照」に慣れるということにすぎず、参照元があるものの理解に終始しているだけなんじゃないか。
言語にたよならない直観というのがあると信じている自分としては、こういう理解の仕方を良しとしていいのか?
・・・・という疑念にとらわれたという話。

今日は、電車で「ニーチェがウンタラカンタラ」という本を読んでいた。
途中から、目は字面だけ追って・・・・頭の中はこんなことを考えていた。
全然集中してねぇ!

言語にたよならない物事の理解?
単に本の内容が理解できない自分を正当化しただけってことですね。