u1row's blog

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『日本人の<原罪> / 北山修・橋本雅之』読了

「見るなの禁」を扱う神話・民話に見られる日本人の潜在意識について語られている。

「見るなの禁」という言葉は一般的な言葉のようだけど、
「見るな」の「禁止」だと「見ろ」ってことになるんじゃ・・・
と本筋とは関係ないことに引っかかったりして、無駄に時間がかかった。
この「の」は同格の「の」で、「見るなという禁」という意味なんだね。
あと「禁」も「禁止」じゃなくて「禁忌(タブー)」の「禁」だね。
それだったら「見るなの禁」よりも「見るなのタブー」の方がわかりやすいと思う。
実際「見るなのタブー」って言い方もよく使われるみたい。

イザナキ・イザナミ神話で、「見るな」という約束を破って、イザナミの朽ち果てた死体を見たイザナキ。
約束を破ったイザナキの「罪」よりも、変わり果てた姿を見られたイザナミの「恥」に焦点があてられる。

醜態をさらすよりも身を隠したい。その願いに反して、醜態を見られた時に、見た方の罪は問われず、見られた方がその恥ずかしさのために姿を消す。
日本人にはこういう美意識があって、
それゆえ献身的な者は、最後には自分を消去する道を選び、
タブーを破る者は、その罪を問われることなくうやむやになる、と論じられる。

なるほど、そんな風にも言えるかもしれない。
イザナキ・イザナミの神話をちゃんと知ってたわけじゃないし、
うちの子に至っては、「つるの恩返し」すら知らなかったんだけど、
感覚として脈々と受け継がれている神話的な領域が自分の中にもあるかもしれないとは思った。

あと、筆者のオリジナルの説ではないそうだが、
一人称の「わたし」というのは「わたくし」の訛りで、
「わたくし」には「ワタカクシ(渡隠)=世を渡る者が互いに非を隠す」の意味という説があるらしい。
一番明白な存在である自分を、他人に対して主張して示そうとするのではなくて、他人から隠すべきものを持つ存在だとする発想が面白いと思った。

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日本人の〈原罪〉 (講談社現代新書)
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