u1row's blog

作曲、演奏、読書、アプリ制作・・・、生きた証を日々更新

『月と六ペンス / モーム』

ストリクランドのモチーフがゴーギャンだという先入観から、
創作だとわかっていながら、ゴーギャンの伝記を読んでるようなカン違いに陥りながら、最後はやっぱり文学作品だということを了解して読み終えた。

タヒチで衰弱しながらも壁に絵を描きつづけたストリクランド。
その最晩年は、伝聞エピソードをもとに描かれる。
創作なんだから、いっそのこと伝聞ではなくてストリクランドの晩年にもっと肉薄するって方法もあるのかもしれないけど、それだと「○○伝」みたいな陳腐な伝記になってしまうのかな?

最後にストリクランド夫人の俗物ぶりが描かれて終わる。
ここで、ゴーギャンの生涯を題材にしているけど、
人間観察の目は、ゴーギャンをモデルとするストリクランドにだけ向けられているのではなくて、全ての登場人物に同じ目が向けられているんだと感じた。
その意味で、これはやっぱり「伝記」ではなくて「文学作品」なんだと了解した。

作家の気持ちになった時に、
ゴーギャンという強烈な個性と特異な生涯について知ったとして、
それを作品にしよう、という風にすぐに思えるかな?

ゴーギャンの一生」は、いわば「すべらない話」。
誰でも「すべらない話」のひとつやふたつ、持っているもの・・・らしい。
素人が語っても「すべらない話」を、プロが語るとなるときっと「わりにあわんな」と思うだろう。
つまり、うけたとしても「ネタが面白いから当たり前」だし、
うけなかったら「素人が話してもうけるネタですべる」という、ものすごいダメージを被る。

ゴーギャンを素材に小説を書くってなると、これと同じような「わりにあわなさ」があったんじゃないかな?
モームは、それでもこれを書いたんだから、単に奇人の一生を書きたかったわけじゃないんだろう。
「月と六ペンス」のタイトルの通り対比、対照を描きたかったのかな?と思った。

それにしても「The Moon and Sixpence(月と六ペンス)」って、いいタイトルやな。中身の作品がぜんぜん違っていたとしても、このタイトルだけで作品として勝利をおさめているような気がする。

http://www.amazon.co.jp/月と六ペンス-新潮文庫-サマセットモーム/dp/4102130055