u1row's blog

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『マグダラのマリア / 岡田温司』

キリストの復活の証人として知られるマグダラのマリア
マグダラのマリアが聖書の中で登場するのは、この復活の場面を含めてほんのわずかだが、この女性は、美術史上さまざまに意味づけされ、
その意味づけに呼応する様々な容姿を与えられてきた。

ある時は少女、ある時は成熟した女性、
ある時は肌も髪も覆い隠し、ある時はほとんど裸体、
あるときは感情を露にし、あるときはうつむき表情が見えないように描かれた。

中世から近世のイタリアを中心に、マグダラのマリアの描かれ方の実例を挙げながら、その背景を解説していく。

読みながら、キリスト教、もしくは宗教について考えた。
人と比べてどうなのかは知らないが、
自分はどちらかと言うと、現世・現実的なモノ・コトよりも、超現実的なことの方に関心を抱く傾向があるように思う。
音楽もそういうものの一環として興味があるのかなぁ、と思ったりする。

そういう超現実、あるいは「霊的」とも言えるかもしれないものに関心があるのに、宗教となると、何か特定の信仰を持っていないというのは、
ひとつには、このマグダラのマリアの扱われ方に象徴されるような一貫性のなさに疑問を感じるからじゃないかと思う。

不変・普遍の真理を追い求めているように見えて、実はその時々の俗世の思惑や都合で簡単にゆがめられてしまう。
その上、宗教・信仰という名のもとで、ゆがめられているという事実にさえ気づかないふりをする(ふりをしている自覚もないのかも)。

ただ、著者のあとがきを読んで、
聖書の中のほんの数カ所に登場するにすぎない女性に、これだけ多様な色づけして語り継いできたということについて、
一貫性がないと不信を抱くのではなくて、人の想像力の逞しさに感嘆する、
というのが健全な受け取り方なのかなぁ、と思った。

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