u1row's blog

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3.11に思ったささいなこと

3.11に思ったささいなこと

妻と倉敷の祖母を訪ねた時なので、もう15年くらい前かな。
あんまりちゃんと覚えていないが、祖母は関東大震災の時のことを話してくれた。
妻の記憶だと、関東大震災そのものではなく、その半年くらい前に「予兆ではないか」と思われる大きな地震があったそうで、
祖母が話していたのはその時のことだったという。
当時、横浜の某女学校に通っていたそうで、伊勢佐木町を歩いていたら地震にあって、たまたま電柱で工事をしていた人のスパナが上から降ってきて当たったというエピソードだった。
関東大震災では10万人以上の死者がでたというから、
祖母のエピソードは取るに足りない瑣末な体験にすぎないだろう。

1995.1.17、阪神淡路大震災を経験した。
とはいえ、オレは京都にいて、たしかにそれまでに経験したことのない揺れだったが、甚大な被害のあった地域に比べると被害と呼べるような被害もなかった。神戸の実家の方は、屋根瓦が落ち母は倒れたタンスで軽傷を負ったが、命に関わるものではなかった。

そういえば、この日の早朝、尋常じゃない揺れに驚き、ラジオをつけた。ひょっとしたら寝ぼけてたのかもしれないが、いやでも確かに「震源地は山口」と言うのを聞いた。
それを聞いて「遠くで起きた地震なのにでかかったなぁ。まぁ、もう大丈夫やろ」と思ってまた寝た。
もう一度目を覚した時に、震源は神戸で、高速道路やビルが倒れ大変なことになっているのを知った。
いまだに「震源は山口」と言ったラジオが夢だったのか、聞き違いだったのか、誤報だったのか、確かめられずにいる。
妻もその時いっしょにいたので、聞き違いではないはずなんだけど・・・。

2011.3.11、鎌倉市大船にいた。
その日の揺れもすごかったが、そのあとの原発事故や計画停電の記憶が強く残っている。
原発事故の時は、避難を真剣に考え、その日の夜に出発するか、翌日の朝にするかを妻と相談するところまで準備したが、諸々の事情で避難はせずにのこった。
この時の経験で、日常生活を家庭と仕事に分断して考えることは不可能だとわかった。働き方は家庭生活に影響するし、家庭の築き方は働き方に結びつく。
トータルでどんな生き方をするのかを選択していかなければならないのだなと思った。
ま、そんなことも、東北で被災した人たちに比べると小さな小さな体験にすぎないが・・・

「記憶を風化させてはいけない」なんて盛んに言われているが、
過ぎ去ったこと、特に生々しい感覚は風化するに決まっている。
祖母が語る関東大震災(の予兆地震)のエピソードは、オレには「日本むかし話」のようにしか聞こえなかったし、
きっと、1.17や3.11のエピソードも、それ自体は「むかし話」になるだろう。

でも、「むかし話」化することは、ちっとも悪いことではない。
1.17、3.11をめぐる、些細なエピソード、ちょうど「祖母の頭にスパナが落ちてきた」というような、漫才だったら「そんなんどうでもええわ」とつっこまれるような、小さな体験がたくさん語られることによって、時代を超えて人の感情が伝わったり、実体験から生まれた災害の教訓が受け継がれたりするんじゃないかな。

だから、自分ももし孫と話をするような時がきたら、ラジオで震源が山口だと言ったのを聞いて二度ねした話や、関東脱出を真剣に考えて荷造りした話をしようかな、と思う。

3.11に思ったささいなこと、でした。