u1row's blog

作曲、演奏、読書、アプリ制作・・・、生きた証を日々更新

何のためにアルゴン

存在意義とは「何のためにあるのか」ということだと思うが、
「何のために在るのか・何のために居るのか」という問いかけの裏には「在るもの・居るもの」には何かしらの意味・理由・役割があるはずだという固定観念があるような気がする。

「在るもの・居るもの」には必ず「意味・理由・役割」があるのかな?
逆に「無いもの・居ないもの」には「意味・理由・役割」が認められないのか?

何かにつけ、存在意義・存在理由を問われる世知辛い世の中。

「あるけども意味のないもの」「無いけれども意味のあるもの」に想いを寄せてみれば、もっと視野が広がり、楽しいことが増えるんじゃなかろうか。

なんでこんなことを考えたのかというと、
ふと「アルゴン(Ar)」のことが気になったから。

アルゴン(Ar)は、空気の約0.9%を構成する物質だが、
もともとギリシャ語で「不活発な・怠惰な」という意味の言葉で
化学反応をほとんどおこさない物質だという。

その不活性な性質を利用した用途がいろいろとあるそうだが、
空気中では、特に何らかの役割を担っているわけではないらしい。

そんなアルゴンのことを考えながら
「アルゴンは何のためにアルゴン?」
なんてつまんないダジャレを思いつき、
そこから「存在無意義」と「無存在意義」みたいなことをなんとなく考えた次第。

そうそう、読みかけの本で
ベルクソンー<あいだ>の哲学の視点から / 篠原資明』。
これは、存在と無の「あいだ」をテーマにした面白い本なんだよね。ところが、1/3くらい読んだところでほったらかしにしてた。そろそろ続きを読もうかな・・・

http://www.amazon.co.jp/ベルクソン―“あいだ”の哲学の視点から-岩波新書-篠原-資明/dp/4004310407