u1row's blog

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楳図かずおはスゴイ!

今日読んだ本
『母は娘の人生を支配する/齋藤環』

サブタイトルは「なぜ「母殺し」は難しいのか」

親子関係の中でも、母ー娘間の関係は特異である。
母ー息子、父ー娘、父ー息子の間にも、支配・被支配関係は成立しうるが、母ー娘間の支配・被支配関係は複雑に入り組んでいるが故に簡単にはその関係を解消できない、という話。

母親には娘を支配したいという抑えがたい欲求があり、多くの場合その欲求に無自覚である。時に献身的な自己犠牲、時に娘の幸せを実現せんとする責任感、と支配欲は無意識のうちに別のものにすり替えられ娘に向けられる。娘は、母親の意に背くことへの罪悪感、あるいは母親の願望を先取りするという形で、母親の支配欲を受け入れる。

この辺りまでは、男のオレにもある程度わかる。
子どもって親の想いを先取りするんだよね。
口に出して言わなくっても、どのように振る舞うべきかという無言の圧力は絶えずかかっているし、その圧力に対して、子どもの側ももの言わず反発したり、切り崩しをはかったりと、絶えず闘争が進行している。

でも、この本によると、男の子が親に対してみせるような単純な図式での反発・自立(親殺し)は、女の子、とりわけ母と娘の間にはあまり見られないらしい。

なぜ?
それは女性の身体性に起因するらしい。
父親とは、つまるところ「力」の象徴でしかない。父親からの自立とは権力闘争による力の獲得という象徴的で単純な図式で描けるもの以上の意味を持たない。(お父さんってむなしい存在なのネ)

それに対して、母親は女性としてのカラダを有している。
女性は常に身体を意識させられる存在、実体そのものである。
『「体」が「私」の容れ物であるという感覚』が女性にはある。
(これは男のオレには、言葉で理解できても、実感として知ることは絶対にできない感覚)

母親と娘は女性の身体性を共有している。それゆえに、切っても切れないほど密接な関係が簡単に出来上がってしまう。

そうなってしまうと・・・
自立を試みることは母の意に添わないこと、
母の意に添わないことは母を傷つけること、
母を傷つけることは自分自身を傷つけること、
という風に、自立すなわち母親殺しが極めて困難な状況に陥ってしまうらしい。

エッセーっぽい感じで、読書嫌いのオレにもどんどん読み進める。逆に、筋立てて展開していく構成ではないので、同じことを何度も繰り返し言っている。でも、決してくどいわけではなく、自身の臨床経験や、映画や漫画や小説の事例がたくさん紹介されているのでとても読みやすい。

明確な答えあるいは解決法が示されているわけではない(そもそも答えなんてないのだろう)。でも、解決の糸口となる助言がいくつか提示されている。

その助言のひとつとして、第三者の介入が有効性が挙げられている。第三者とは、父親、その他の人たち。

残念ながら、母娘の関係にからするとお父さんは当事者ですらないのね。しかも第三者の中でも、父親は唯一の第三者ではなく、One of 第三者's なんだとか。

筆者自身も言ってるけど、男の人こそこういうことに関心を持って関わっていくべきだろうね。
オレには、たまたま娘がいるから、自分の家族に当てはめて読んでしまう部分は確かにあるけれど、娘がいようがいまいが、男であろうが女であろうが、刺激的で面白いと感じられる本だと思う。

あと、楳図かずおはスゴイ!
何がスゴいのかは読んでみてね。
天才の想像力・創造力は世俗の敷居なんて軽く跨いでしまうんだなって思った。(ちなみに、これは話の本筋とはまっったく関係ないことだけどね)

http://www.amazon.co.jp/母は娘の人生を支配する―なぜ「母殺し」は難しいのか-NHKブックス-斎藤-環/dp/4140911115