u1row's blog

作曲、演奏、読書、アプリ制作・・・、生きた証を日々更新

旗上げゲーム

都民じゃないが都内感染者数の推移は気になる。ここのところ増加傾向にあるのは間違いないが第2波とは言わないらしい。
東京アラートにしても、何かの基準に基づいているわけじゃなくて、トップの胸三寸。すごく大がかりな旗上げゲームをやってるようなもんだ。「赤上げて、赤下げて、赤上げないで、、、」でフリーズしてしまった。とりあえず選挙が終わるまでは、といったところだろう。

木を見て森を見ずの反対

「鹿を追う者は兎を顧みず」ということわざがあるらしい。大きな利益を追いかける人は小さな利益に見向きもしないという意味だとか。これの反対が「木を見て森を見ず」だというがどうもしっくりこない。 鹿とウサギは、大きな利益と小さな利益の対比。一方で森と木は全体と部分の対比。必ずしも「全体=大、部分=小」とは言えないだろうと思う。

正反対の意味をもつことわざは、一方のことわざの意味に偏りすぎると陥る落とし穴を指摘したり戒めたりするものが多い。
「木を見て森を見ず」ということわざの落とし穴は、全体最適化ばかりに気をとられているうちに構成要素を全体に奉仕する歯車のようにとらえてしまうことだろう。「森を見て木の心を知らず」なんてことわざはないが、ちょうど正反対はコレじゃないか。そうすると「木の心を知って森を見る」が望ましい姿勢ということになる。

ピアノ

先日、自分が感じるピアノとギターの違いのことを書いた。
「ピアノは音楽を構成や構造で捉えるのに適しているが、それを超えたとらえ方をするには他の楽器以上にハードルが高くて、ドミソをドミソと考えずに聴く・弾く練習をしないといけないのだろう」と。
そのアプローチとしては、ブルースピアノのように曲をクリシェのかたまりとして捉える方法が一つ。あと、ある音階(スケール)を想定してそのスケール内の音の配列として捉える方法。
つまりジャズの歴史そのものということになる。
ピアノという楽器自体はジャズにおいては主役ではないが、音楽の捉え方という意味ではその変遷もしくは葛藤をわかりやすく示してれる楽器だと言えそうだ。

手にとって触れるもんでもわからん

落語の「佐々木裁き」を聞く。西町奉行の佐々木信濃守ととんちの利く悪戯坊主の四郎吉のやりとりがおもしろい。
「星の数を知っておるか」という問いに、「あんたこの白州の砂の数わかるか。手にとって触れるもんでもわからんのに、手の届かんとこにあるもんの数なんか知りまへん」と返す。
ん、このやりとり、ついこのあいだ読んだ気がする。
思いあたるのは、ラテンアメリカ民話集。
ラテンアメリカ」というタイトルだが、「うさぎと亀」とか「こぶとり爺さん」とか、知っている話や知ってるパターンがたくさん出てきて、民話は独自性よりも普遍性が勝るジャンルなんだなと思った。
たぶんこの本に同じ話があったと思うが、、、とペラペラとめくるが見つからない。
2、3回、前からめくり、後ろから遡りと見てみたが見つからなかった。
本の中からお目あての文を見つけるのは、お白州の砂の数を数えるのと同じで、手にとって触れるもんでも容易じゃない。四郎吉の言うとおりだ。

変化の中身

コロナ禍によって大きく変わった。生活レベルの事柄から、一国の経済や制度、さらに世界規模のさまざまな営みまで。
でもよく考えてみると、変わったあるいは変わりつつあると感じていることの大半は、単に前倒しで起きているというだけなんじゃないかという気がする。
変化には、方向転換を伴う変化と、方向は同じで単に速度がはやいというだけの変化があるんじゃないか。コロナ禍による変化の大半は、明日起こるはずだったことやもっと先に起こるかもしれなかったことが、いま起こっているという速度だけの変化なんじゃないか。

芭蕉もニュートンも

今年の夏至は6/21、昨日だったらしい。なんとなく6/22と思ってて「そういえば今日は夏至か」と思ったらもう終わっていた。
昨日は盛んに日食のことが話題になっていたが、372年ぶりの夏至の日食だったんだそうだ。
372年前というと1648年。残念ながら、まだ自分の年表にこの年に生まれた歴史上の人物は書き込んでいない。
近いところでいうと、1644年生まれの芭蕉が4歳、1642年生まれのニュートンが6歳。
さすがにまだ「月日は百代の過客」なんて言っちゃいないし、リンゴは地面に落ちるのになんで「月」は落ちなんだろうなんてことも思っちゃいない。
あ、そもそも英国人のニュートンが日本の日食を見るわけがないか。

Tシャツのプレゼント

父の日だったらしい。妻と娘からTシャツをもらった。
チョイスのポイントは北斎の絵がプリントされているが、その下に生没年(1760-1849)と書かれているところだそうだ。
気になった歴史上の人物の生没年を記録して覚えようという最近取り組んでいるささやかな趣味に協力してくれたということらしい。
ま、北斎はとっくに覚えているのだが。

その周辺でいうと、モーツアルト(1756-)、シラー(1759-)、フィヒテ(1762-)、小林一茶(1763-)あたりを覚えた。
どこに向かっているのか、自分でもよく分からないが、林家ぺーみたいな感じがステキかもしれない。