u1row's blog

作曲、演奏、読書、アプリ制作・・・、生きた証を日々更新

普遍の所在

アウグスティヌス(354-430)の生涯と思想を簡潔に紹介してくれている本を読み始めた。教科書の記述程度の知識しかないので、少しは勉強になるかなと思って図書館で借りたが、意外とおもしろい。
古代キリスト教世界のビッグネームは、始めから聖人然とした人物だったわけじゃなくて、いろんな悩みや矛盾を抱え、30を過ぎてもまだモヤモヤしてたのだそうだ。

たいていの宗教には、神の意志や言葉を伝える立場の人間がいるもんだろうと思うが、そういう人たちは、神について語る前に、まず自分のことを語るべきなのかもしれない。
世の中には宗教の数だけ「普遍」があるという矛盾。でも宗教が異なっても、アウグスティヌスが向き合った葛藤は変わらない、つまりここに本当の「普遍」があるんじゃないか。
少なからず「普遍的なもの」に関心がある自分にとって、いま聞きたいのは、どこかの神様の言葉ではなくて、悩んだ人間の「告白」の方かもしれない。

映画『LA LA LAND』観了

子どもが友だちとボーリングに出かけたので、妻と映画を見に上大岡へ。
お目あては話題のミュージカル映画『LA LA LAND』。
『ウェストサイド』も『雨に唄えば』も『サウンドオブミュージック』も『シェルブールの雨傘』も、ミュージカル映画はことごとく挫折した(途中で寝た)実績をひっさげていざ館内へ。
いきなりハイウェイで歌って踊りだすシーンで早くもヤバい空気が漂ったが、これは事前のコマーシャルでも見かけたシーンなので唐突感はなくなんとかスルー。
そうこうするうちに、それなりに受け入れる心の準備が整って、なんだかんだで最後まで集中して見られた。

感動・・・という感想とはほど遠いが、ミュージカル映画の自分なりの受け止め方みたいなものがわかったのは収穫だった。
ミュージカル映画では、展開されるストーリーも、描かれる人生のひとコマも、すべて舞台上の出来事(オンステージ)。
それをどうカラフルに彩る(イマジネーションに訴えかける)かというところに見どころがあるんだ、と思って見たら唐突な歌も踊りも受け入れらるということに気づいた。
AR(Augmented Reality・拡張現実)という発想に近いもの、「Directed Reality(演出された現実)」とでも呼べそうなものがミュージカル映画の根っこにあるんじゃないかな。
そんな風に考えたら「3行で済みそうな恋の顛末」「30年前に終わったジャズ談義」などと粗をあげつらうのは野暮ってもんだという気になる(と言いながらあげつらってみる)。

恋を描きたいんじゃない、ジャズを語りたいんじゃない、シーンを見せたい、シーンで魅せたいんだ。
これが自己流『LA LA LAND』解釈。

読もうか、どうしようか

同世代トークで共感することがほとんどない。その理由のひとつは、少年マンガも少女マンガもほとんど読まなかったからかもしれない。今さら、いちから読む気にはなれないが、せっかく隣に少年少女マンガを漏れなくカバーしている人(妻)がいるので、聞いてみた。もしいま読むなら何がオススメか?
回答は『スケバン刑事』。今でもカバンを決して右手では持たないことにしているのは、このコミックを読んだ影響なのだとか。
テレビドラマになっていたが、それとは全く別物だという。ま、そもそもテレビドラマの方も見てないので先入観も偏見もないが。
読もうか、どうしようか。

アナログ時計のアナロジー

帰りの電車で、アナログ時計の短針と長針は1日に22回重なるという記事をみた。
長針が1日に24周、最後に重なる0時0分は翌日だから23回だと思ってしばらく首をひねったが、短針は1日2周してるんだった。
アナログ時計の動きにはamとpmの区別がないのかと思うと、あたり前のことなのに不思議な感じがする。

長針と秒針はどうか。
秒針は1日で1440周、長針は24周だから、重なるのは1416回。
短針と秒針は。
秒針は1日で1440周、短針は2周だから、重なるのは1438回。

いつも同じ場所(時計の文字盤上)にいて、その中をぐるぐる回る3人。そのうちの少なくとも2人が出会う回数を合計すると1日に2876回。
狭い場所に3人もいたら、そのくらいの回数になってもおかしくない。でも、このうち3人が同時に会うのはたったの2回だけ(午前0時と正午)。

ちょっとウチの家族のようだ。
短針=自分、長針=娘、秒針=妻。
短針と秒針、長針と秒針は何度も顔を合わせるが、3人揃うのはほんのわずか。

この例え、秒針が妻というのがミソで、妻として母として秒針のように動き回っているということを暗示している。

時計と家族、アナログ時計だけにアナロジーだな。

『悪の引用句辞典/鹿島茂』読了

ザーッと小一時間で流し読み。ところどころ「なるほど」と頷くも、読み終えてみると何にも残っていない。
引用の後のエッセーは読んでいて楽しかったが、時事ネタに絡めすぎると、紹介されている引用が陳腐化するようにも感じられた。
何にも残らないのももったいないので、いまパラパラと振り返ってみた。

「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」は誤訳で、実際は「健全なる精神は健全なる肉体に宿ってほしいものだ」という祈願文らしい。ということは現実にはそうでないということか・・・

「ロバの一撃」というフランス人が好む常套句があるらしい。ライオンのように強かった者が衰え弱った時に、ここぞとばかりに攻撃することを言うのだとか。

『とっておき名短編 / 北村薫・宮部みゆき編』読了

先日書いた通り、12人の著者の中に古い知り合いの名前を見つけてとても驚いた。
それはともかく、どの作品も楽しめたが、特に印象に残ったのは深沢七郎の「絢爛の椅子」という作品。
好きなのかどうかは判断がつかないが、ニオイのある文章だと思った。

「ニオイがない」と言って自分の頭の中に思い浮かぶのはジブリ、つまり宮崎駿の絵。
あの、のっぺり、もしくは、つるんとした絵が凄くキライだ。
これは絵ではなく文章だが、宮崎駿の対極にある文章だと思った。
ストレートに「好きだ」というのが憚られるが「大嫌いなものの対極にある」というのは確かだと思う。

聞き覚えのあるフレーズ

今日の夕食で米びつが尽きた。
「明日どうする?」
「じゃあパスタで」
「お、いいね」
という妻とのやりとり。

どこか聞き覚えのあるフレーズ・・・・
「パンがないなら、ケーキを食べればいいじゃない」 by Marie Antoinette
「米がないなら、パスタを食べればいいじゃない」 by Yuichiro Nagai